一般社団法人福岡県私設病院協会様が2か月に1回発行している会報誌「福私病ニュース」において、弊所の弁護士が労務問題に関する連載を行っております。

連載中の記事を全文掲載いたします。

事例

たくみ病院の事務長Tは、事務長室に届けられた昼食を配達員から受け取った。

以前、Tは院内にある職員専用の食堂を利用していたが、世界的に流行しているC感染症の影響で社員食堂が閉鎖されたため、最近はもっぱらデリバリーサービスを利用している。白衣での外食が難しい病院職員にとって食堂は欠くべからずものではあるが、職員の健康管理のためにはやむを得ない決断であった。

Tは、午後にテレビ会議で行われる会議の議題に目を落とした。C感染症の対応と並んで問題となっているのは、看護師Kの件だった。

Kは、検査器具を消毒する業務に当たっている検査科のスタッフである。Kは最近、咳や頭痛などの症状に悩まされており、それらの症状が消毒液に含まれる化学物質の影響だと訴えているという。検査室では今でこそ防護マスクやゴーグルの着用を徹底しているが、C感染症の流行前は職員の自主性に委ねられており、着用しない者も多かった。

「Kは病院の安全管理に落ち度があったと訴えており、労災申請をする予定だと言っています。」

担当者の言葉を思い出してTは食欲が減退するのを感じた。

そのとき、Tが首からぶら下げていた携帯電話が鳴った。総務部長Mからの着信だった。


M:「事務長。Kの件でご提案があります。」

T:「君の意見は全く当てにしていないが…。一応、話だけ聞こう。」

M:「Kが言うように、消毒液に含まれる物質が原因で咳や頭痛などの症状が現れることがあるのは事実のようです。しかし、消毒室には換気口がありますし、防護マスクやゴーグルも設置していました。病院として対策は十分だったと思っています。」

T:「しかし、現にKは体調不良を訴えているし、医師の診断書もあるというではないか。労災申請の件はどうする。」

M:「Kと同じ検査科のスタッフのうち、体調不調を訴えているのはKだけです。本当に検査室での業務が原因だと断言できるでしょうか?それに、労災申請を認めれば病院は安全管理体制の不備を認めることになり、Kから損害賠償請求されるおそれもあります。事務長、安易に労災申請を認めるべきではありません。」

T:「しかし…。それって本当に大丈夫なの?」

すぐにとるべき対応

今回の事例は、グルタルアルデヒドを含む消毒液を用いて検査機器を消毒する業務に従事していた看護師が化学物質過敏症になり、病院に損害賠償を請求した大阪地裁平成18年12月25日判決を参考にいたしました。

医療機関の運営にかかわる皆様であれば、病院内の安全の確保や事故の防止には十分に配慮されていることと存じます。

しかし、どれだけ注意しても病院内で事故や健康被害が生じてしまう可能性はあります

事例のようなケースが起きたときにすぐにとるべき対応は何でしょうか。

第一に優先すべきなのはKの健康管理です。

体調不良の原因が検査科における業務である可能性があるのなら、本人と協議のうえ、別の部署への配置転換などを検討しましょう。

加えて、他のスタッフへの健康被害の拡大を防止するため、室内の換気の頻度を増やしたり、防護マスクやゴーグルの着用を徹底するなどの措置をとりましょう。

体調不良者が出ているにもかかわらず適切な対応をとらず、Kの症状が悪化したり、他のスタッフにも同様の症状が出た場合、病院の責任が重くなるおそれがあります。

労災保険給付申請に関する対応

従業員が労災保険給付の申請を行うとき、事業主はどのような対応が必要なのでしょうか

労災保険給付は、労働者が業務に起因して負傷したり疾病にかかったときに支給の対象となります。

医療機関で発生する業務災害の例として、業務中に転倒して骨折したとき、患者から暴行を受けて怪我を負ったとき、院内感染で感染症に罹患したとき、長時間労働が原因で精神疾患にかかったり過労死したときなどが考えられます。

今回の事例のように、業務で使用する薬剤が原因で疾病を負った場合も、その疾病が業務に起因すると認められれば業務災害に該当します。

労災請求の手続は請求人である労働者が行うのが原則です。

請求を行う際には、労災保険給付の請求書に記載された「負傷又は発病の発生日」「災害の原因及び発生状況」について事業主から証明を得る必要があります。

これを「事業主証明」といいます。

以上が法律で定められた手続きですが、実際には労働者から事業主証明を求められたときにサインをためらう方は少なくありません。

よく耳にする懸念は、「事業主証明をするということは、事業主の落ち度を認めてしまうことになるのではないか」「のちのち民事上の損害賠償請求がなされたとき、事業主に不利になるのではないか」というものです。

まず、労災保険の給付対象の該当性を判断するのは労働基準監督署(労基署)であり、事業主の申告により認定されるわけではありません。

したがって、事業主証明をしたからといって直ちに事業主の責任が認められるわけではありません

労働者の負傷・疾病と業務との因果関係が不明な場合などには、事業主証明を行わないというのは選択肢の一つとして考えられます。

従業員が長時間労働やパワハラなどによりうつ病などの精神疾患に罹患したと主張している場合などには、長時間労働やパワハラの事実が本当にあったのか、それがうつ病の原因となるほどのものだったのか、という点はよく検討する必要があります。

事業主は、請求人による保険給付の申請について意見を申し出ることが認められています。

そこで、事業主証明を拒否する場合には、労働基準監督署に対してその理由について意見を述べるとともに、労災事故に関する調査に協力する姿勢を見せることが重要です。

具体的には、労基署長宛の「証明拒否理由書」を作成し、事業主証明をしない理由や労基署からの照会・調査には応じる旨を記載して労基署に提出するとよいでしょう。

請求を行った従業員に対しても、事業主証明を拒否した理由を丁寧に説明し、納得してもらうことが重要になります。

ここで従業員との間で感情の衝突が生じると後に紛争化する可能性が高くなりますので、くれぐれも慎重に進めるようにしましょう。

事業主証明のない請求書は形式的には不備があるということになりますが、迅速な保険給付の観点から、実務上、労働基準監督署は事業主証明がない請求書であってもこれを受理するという運用を行っています。

従業員には、事業主証明がないからといって労働者が労災保険給付を受けられなくなるわけではないこと、労働基準監督署に受付を促すこと、事業主として調査等には誠実に対応する予定であること等を説明して理解してもらうようにしましょう。

なお、事業主には労働者の保険給付請求にかかる手続に協力する義務がありますので、当然、正当な理由なく事業主証明を拒否することは認められません

また、虚偽の報告をするなどの「労災隠し」に対しては労働安全衛生法による罰則が適用されます。

損害賠償請求との関係

続いて、労災保険給付と民事上の損害賠償請求の関係についてご説明いたします。

使用者である医療機関は、労働者が生命や身体などの安全を確保しつつ労働をすることができるよう配慮する義務を負っています。

これを「安全配慮義務」といいます。

安全配慮義務は労働契約法5条、医療法6条の10などに定められており、労働安全衛生法では必要な措置を怠った事業者に6か月以下の懲役または50万円以下の罰金を科すと定めています(第22条、第119条)。

医療機関が安全配慮義務を行ったことにより、従業員が負傷したり、疾病にかかったり、死亡した場合、従業員は会社に対して損害賠償請求をすることができます。

ただし、労働者が労災保険給付を受けている場合には、その分が安全配慮義務違反に基づく損害賠償額から差し引かれます。

これを「損益相殺」といいます。

今回の事例でいえば、看護師Kが労災申請を行って労災保険の給付を受ければ、使用者はその分の損害賠償責任を免れることができます。

この点で、労働者がすみやかに労災給付を申請できるようにサポートすることは病院にとってもメリットがあるといえます。

もっとも、労災保険からは精神的損害(慰謝料)や、逸失利益(労働災害の結果として後遺症が残った場合に、後遺症による将来の収入の減収に対する賠償)が支払われません。

また、労災で仕事を休んだときには給与額の約6割しか給付されませんので、残りの分を使用者に請求される可能性があります。

なお、労働者自身にも過失がある場合には過失相殺が認められます

今回の事案でいうと、病院が防護マスクやゴーグルを着用するよう指導していたにもかかわらず看護師Kがそれに従っていなかった場合には、過失相殺が認められる可能性があります。

新型コロナウイルスの院内感染が発生した場合

最後に、新型コロナウイルスの院内感染と労災についてご説明します。

院内感染が労災保険給付の対象となることはご説明したとおりです。

では、医師や看護師が新型コロナウイルスに感染したが、病院で感染したのかプライベートで感染したのかはっきりしない場合はどうでしょうか。

この点については、厚生労働省の公表した「新型コロナウイルスに関するQ&A(企業の方向け)(令和2年5月29日版)」で明らかにされています。

厚労省は、医師・看護師などの医療従事者や介護従事者が新型コロナウイルスに感染した場合には、原則として業務起因性が認められ、労災保険給付の対象となるが、業務外で感染したことが明らかである場合は除かれるとしています。

つまり、医療従事者や看護従事者に関しては、感染経路が不明であるときには業務関連性ありと推定するということになります。

最後に

今回は病院内で事故や健康被害が生じたときの対応について解説いたしました。

事例のようなケースではスピーディかつ的確な対応が迫られますので、専門家のアドバイスのもとで対応することをお勧めいたします。

弊所では初回の法律相談は無料で対応しております。お電話やテレビ会議(Zoom等)によるご相談も可能です。

その他、病院内の労務問題に関するご相談、今回の記事の内容に関するご感想やご質問、今後の連載に対するご要望などございましたら、以下の連絡先へお気軽にご連絡ください。

関連記事

お問い合わせはこちら

企業側・使用者側専門の弁護士にお任せ下さい新規予約専用ダイヤル24時間受付中!メールでの相談予約