一般社団法人福岡県私設病院協会様が2か月に1回発行している会報誌「福私病ニュース」において、弊所の弁護士が労務問題に関する連載を行っております。

連載中の記事を全文掲載いたします。

事例

帰路

福岡市にある「たくみ病院」の事務長Tは家路をたどりながら考えにふけっていた。

3月に入り、春らしさを感じることが増えてきたものの、朝晩はまだ冷え込む日が多い。

Tは両手をポケットに入れて足取りを少し早めた。


この数年、たくみ病院の経営はけして思わしくはない状況が続いていた。

ところが就業規則の退職金規定は10年前に策定した基準のままになっており、これを改訂して現在の80%にすべきだという声が一部の理事から挙がっているのだ。

もしも退職金をカットすることになれば、職員の猛反発は免れられないであろう。

Tが空を仰いだそのとき、総務部長のMの耳慣れた声が聞こえてきた。


M:「事務長、どうしたんですか。何度も声をかけたのに、ボーとしているみたいじゃないですか。ひょっとして明日の理事会のことが気になってますか?」

T:「ひょっとしても何も、まさに君が言うとおりだよ。」

M:「やっぱりそうでしたか。でも、その件だったら心配は要りませんよ。事務長はこの間、退職金を引き下げるには職員の合意が必要だと言っていましたよね?私が調査したところ、あれは事務長の勘違いです。」

T:「私の勘違い?一体どういうことだ?」

M:「たしかに、会社が労働者の合意なく就業規則を変更して労働条件を不利益に変更することは原則としてできません。しかしそれはあくまで原則で、就業規則の不利益変更が常に違法となるわけではないんです。『合理性』さえあれば、一方的な変更も認められます。」

T:「合理性?」

M:「うちの経営状況が厳しいことは決算書の数字からも明らかです。銀行からの借り入れも膨らんでいます。現在の退職金を維持すれば、今後、病院経営が立ち行かなくなる可能性だってあります。このことは退職金を減額する理由として十分に合理的だといえるでしょう。違いますか?このような場合には、就業規則を一方的に変更することが認められてしかるべきです。」

T:「しかし…それって本当に大丈夫なの?」

就業規則による労働条件の不利益変更とは

今回の事案は、病院が行った就業規則の不利益変更には合理性がないとして、退職した看護師による退職金支払い請求を認めた東京地方裁判所平成13年7月17日判決を参考に作成いたしました。

使用者が就業規則を労働者にとって不利益に変更することは、労働契約法第9条により原則として禁止されています

就業規則に労働条件の最低基準を設定する効力がある以上、一方的な不利益変更は労働者の既得の権利を奪うことを意味するからです。

ただし、例外として、次の2つの要件を充たす場合には認められるとされています。

(ア)就業規則の変更が周知されていること

(イ)就業規則の変更が合理的なものであること

特に問題となりやすいのが(イ)の「合理性の要件」です。

合理性の要件を判断する際には、次の5つの要素を考慮するものとされています。

  1. 労働者の受ける不利益の程度
  2. 労働条件の変更の必要性
  3. 変更後の就業規則の内容の相当性
  4. 労働組合等との交渉の状況
  5. その他の就業規則の変更に係る事情

就業規則による労働条件の不利益変更の効力

就業規則による労働条件の不利益変更が行われたとき、新旧の就業規則の効力は次のようになります。

就業規則変更が適法に行われれば、変更前の就業規則は効力を失い、新しい就業規則はすでに雇用されている従業員と新たに雇用される従業員に対して効力を生じます。

一方、就業規則変更が違法に行われたときは、新しい就業規則は拘束力が否定され、すでに雇用されている従業員には変更前の就業規則が適用されることになります。

とはいえ完全に無効になるわけではなく、新たに雇用される従業員には変更後の就業規則が適用されます。

事例の検討

では、今回の事例で就業規則による労働条件の不利益検討が認められるのでしょうか

上で説明した要件のうち1~4の検討を行いましょう。

1.労働者の受ける不利益の程度

賃金や退職金は労働者にとっては最も重要な労働条件ですので、これらを引き下げたときに労働者が受ける不利益の程度は大きいと解されます。

そこで、就業規則の変更につき「高度の必要性」が認められる場合にのみ合理性が認められます。

今回の参考判例でも、「賃金、退職金という労働者にとって重要な権利、労働条件に関し実質的な不利益を及ぼす就業規則の作成または変更については、当該条項が、そのような不利益を労働者に受任させることを許容できるだけの高度の必要性に基づいた合理的な内容のものである場合において、その効力を生ずるものというべきである」とされています。

2.労働条件の変更の必要性

今回の事例における病院側の事情は、「病院の経営状況が悪化していることから、人件費を削減するために退職金を減額する必要性がある」というものです。

しかし、総務部長Mの「現在の退職金を維持すれば、今後、病院経営が立ち行かなくなる可能性がある」という口ぶりからすると、現に倒産の可能性があるといった切迫した事情はなさそうです。

今後の経営努力により、現在の退職金を維持したまま病院を存続させていく余地もあるでしょう。

このような事情から、今回の事例のようなケースでは「高度の必要性」はないと判断される可能性が高いと考えられます。

ちなみに、病院の事例ではありませんが、経営状態が悪化し資金繰りにも窮する状態になった会社が再建計画として退職金50%削減した事例で、不合理とはいえないとされたものもあります(東京地方裁判所平成19年5月25日判決)。

当然、経営環境の程度は具体的に検討する必要があります

3.変更後の就業規則の内容の相当性

相当性の判断においては、変更後の就業規則の内容自体の相当性に加え、経過措置の有無および内容、代償措置の有無およびその他の労働条件の改善状況、変更内容の社会的相当性などが考慮されます

たとえば、退職金を減額する代わりに休日、休暇、諸手当、定年等の面で労働者に有利な取扱いをするような場合には、「代償措置の有無およびその他の労働条件の改善状況」として考慮され、不利益変更の合理性が認められやすくなるでしょう。

4.労働組合等との交渉の状況

労働者側の代表者が就業規則の変更に賛同しているような場合には合理性が認められやすくなります

参考判例でも「就業規則の変更の掲示に対して反対の意思を表明した労働者がいなかった」ことについて検討がなされています。

ただし、この点をもって就業規則の変更の合理性が基礎づけられるとまでいうことはできないと判断されました。

結論

これらの事情を考慮すると、今回の事例では就業規則による労働条件の不利益変更が違法とされる可能性が高いでしょう。

とるべき対応

では、経営状況の悪化により賃金や退職金を維持することが困難になったとき、使用者側はどのような対応をとるべきなのでしょうか

繰り返しになりますが、賃金や退職金の引き下げを伴う就業規則の変更は労働者にとって不利益が大きく、変更のハードルは高くなります。

そこで、まずは賃金以外の労働条件の変更を検討することをお勧めします。

たとえば、労働時間の延長、休憩時間の短縮、休日の減少、福利厚生の廃止、減給の伴わない降格(権限の範囲の縮小)などです。

それでも賃金や退職金の引き下げを行わざるを得ない場合には、経過措置や代償措置を検討し、労働者側と慎重に協議を重ねるべきです。

就業規則の変更につき労働者側の同意が得られたときには、必ず書面による同意をとるべきです。

書面による同意を得ることにより、後々就業規則の拘束力が否定されるリスクを軽減することができます。

同意書には労働条件の具体的な変更内容や変更後の労働条件が適用される日付を記載しておくとよいでしょう。

日本の労働法では労働者が手厚く保護されており、一度決めた賃金を引き下げることは容易なことではありません

同様の問題は、「即戦力と見込んで中途採用したが、待遇に見合った貢献をしてくれなかった」というようなケースでも生じます。

経営的な観点からいえば、リスクを冒して既存の従業員の待遇を引き下げようと試みるよりも、業務の効率化を推進し、人件費の削減を狙う方が現実的といえるでしょう。

最後に

病院内の労務問題に関するご相談、今回の記事の内容に関するご感想やご質問、今後の連載に対するご要望などございましたら、弊所へお気軽にご連絡ください。

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